新共産主義理論

新共産主義理論とは

新共産主義理論は、マルクス経済学の理論の一つです。

新共産主義理論がマルクス経済学を名乗る理由は、日本を含む世界の現在の経済状況が、カール・マルクス氏が『資本論』第三巻第三篇第十五章で予言した資本主義の終焉の状況に合致していると考え、また、その状況の発生の理由が、マルクス氏の記述の中に示唆されていると考えるからです。

『資本論』第三巻第三篇第十五章については、宇野弘蔵氏のように「恐慌論」という見方の経済学者もいますが、新共産主義理論では、それを資本主義の「終焉論」とみなしています。「恐慌論」と「終焉論」とは、たとえば、地球物理学において「プレートテクトニクス論」と「地震学」が密接に関係しているように、不可分のものですが、本稿の新共産主義理論では、「資本主義終焉論」について中心に述べていきます。 「プレートテクトニクス論」によって必ずしも、地震の発生周期を正確に予言することができないのと同様に、「資本主義終焉論」では恐慌の周期を正確に予言することは難しいですが、地球物理学において「プレートテクトニクス論」が重要な地位を占めるの同様に、「資本主義終焉論」は、現代の経済学における主要な地位を占めるはずでしょう。

新共産主義理論は、新古典派の経済理論と同じように、数学の解析学の手法を用い、ワルラスの一般均衡理論を基礎に置きます。これについては強い異論があるかもしれません。ワルラスの一般均衡理論は、いわゆる新自由主義に与するニュー・クラシカルといわれる経済理論の基礎的な部分を担っている理論だからです。

しかし、新共産主義理論はニュー・クラシカルの経済理論の結論を受け入れる立場ではありません。新共産主義理論は他の現代の経済理論がそうであるように、科学として、仮説を立て、演繹し、得られた結論を現実世界で起こっていることを比較して実証するという手順を重視します。ニュー・クラシカルの経済理論とは別の仮説の上に立った経済理論が、たとえ演繹の過程で共通の理論的手法を用いたとしても、ニュー・クラシカルの経済理論とは全く別の結論を導き得ることは、何ら不思議なことではないでしょう。

新共産主義理論では「生産要素集約選好法則」という仮説を立てています。この「生産要素集約選好法則」という仮説を立てることにより、能力と嗜好が同じ労働者とその家計から構成されている社会において、ワルラスの一般均衡が成り立っていたとしても、生産物の消費の効用と、労働の不効用とが一定の条件を満たす場合 ── 直観的に言えば、生産の効率が向上し、すべての労働者が十分満足できる量の生産物の供給が、すべての労働者の数よりも少ない人数の労働で達成可能な場合 ── 失業者が発生し、完全雇用が失われます。前提となっている、「労働者とその家計は能力と嗜好が同じ」という条件が満たされているにもかかわらず、ワルラスの一般均衡において、労働者とその家計に格差が生じる場合があります。

「生産要素集約選好法則」という仮説を組み入れることにより、生産力が過剰になった社会においては、たとえワルラスの一般均衡が成り立っていたとしても、完全雇用が達成されない場合があることが説明できます。この場合を、労働力についての「自発的対称性の破れ」の発生、と表現することができます。「自発的対称性の破れ」は、物理学の用語であり、系の基底状態(最低エネルギー状態)が縮退していて、系の基底状態が、系のハミルトニアンの持つ対称性を満たさないような状態を指します。また有限温度での高い対称性を持つ高温相から低い対称性しか持たない低温相への相転移も「自発的対称性の破れ」の一種です。

こうしたワルラスの一般均衡論に基づく非自発的失業の存在の説明は、従来の経済理論と大きく異なります。主にニュー・ケインジアン派は、ワルラスの一般均衡からのずれに着目しますが、完全雇用が達成されない理由を、賃金の価格硬直性に求める理論では、結局、労働市場が生産物市場の流動性を高め、企業が従業員を解雇しやすくするような規制緩和が最善であるという、ニュー・クラシカルの経済学者と同じ、誤った結論を出してしまいがちです。皮肉なことに、ニューケインジアン派は、労働市場の流動性についての見解で、ニュー・クラシカル派の主張の片棒を担ぐことになってしまうのです。

新共産主義理論においては、完全雇用を達成し格差をなくすための方策としては、労働市場の流動性を高めることではなく、シニョリッジ・アンド・スターリライゼーションとよぶ方法を提唱しています。政府は、政府証券を発行して中央銀行に直接売却することで社会保障や医療および完全雇用を達成し格差をなくすための財源を得ます。この政府証券は中央銀行は金融市場で売却することはできません。政府証券を発行にともない発生するかもしれないインフレやバブルの抑制は、スターリライゼーションとよぶ、企業向け使途別流動性調整積立て預金制度によっておこないます。

新共産主義理論に基づく経済社会においては、政府の財源確保の手段としての税は廃止し、格差を減らし社会的公平性を確保し、スターリライゼーションを補ってインフレやバブルを抑制するための、補助的手段としてのみ、法人税や所得税を存続させます。

現代経済学の基礎

この章では、現代経済学の基礎を、新共産主義理論の立場から再構成することを目標にします。 主として、新古典派の理論の形式的な枠組みをベースにしています。 筆者は、資本論におけるマルクス氏の主張は、新古典派の理論形式の枠組み中においても表現可能であると考えています。 筆者の考えでは、新古典派の経済学者は、マルクス氏の資本論での主張を、都合よく自分たちの理論に取り込んでいると見ています。

例えば新古典派の経済理論では、労働者の賃金を、企業が労働力の所有者に支払う、労働力の賃貸料として記述しますが、その着想は、マルクス氏の『資本論』における「労働力」の概念から得たものではないかと筆者は考えています。マルクス氏の『資本論』では、「労働力の売り買い」という表現こそ用いられているものの、マルクス氏は、「労働力」そのものが”売り買い”されるのではなく、「労働力」は労働者と資本家との間で、”貸し借り”されるものであるという事実に気付いていたと思います。

また、新古典派の経済理論では、長期の部分均衡分析において、ある産業で、初めは新たな生産者は市場への参入により正の利潤を得ることができていたとしても、次々に新たな生産者が参入してくることにより、短期の均衡における価格が低下し、このような新規参入が続くと、やがて参入した場合の企業の経済学的利潤(企業利潤)がゼロになり、それ以上の参入・退出が起こらなくなると考えます。この市場参入・退出の長期均衡の理論には、マルクス氏の『資本論』第三巻第三篇 『利潤率の傾向的低下の法則』でおこなわれている洞察が影響を与えていると筆者は考えています。

三つの階級──企業家と狭義の資本家と労働者

カール・マルクス氏は、階級を労働者と資本家と地主の三つに分類しました。新共産主義理論では、資本家を生産手段の所有者として、企業家と区別します。

この狭義の資本家を資産家とも呼びます。地主も、この狭義の資本家(または資産家)に属します。労働者は労働力という特別な資本の所有者です。狭義の資本家は企業家に生産手段または企業家が生産手段を購入する資金を貸して、その賃貸料(レンタル料)を収入として得ます。労働者は企業家に自己の労働力を貸して、その賃貸料(レンタル料)を収入として得ます。この労働者が収入として受け取る賃貸料は賃金と呼ばれます。

企業家は、企業の経済的利潤(企業利潤)を最大化することを目的としますが、労働者は賃金の最大化、狭義の資本家(資産家)は、資本利子を最大化することを要求し、それぞれ企業家と競合しています。

資本主義経済の最も単純化された骨格モデルの構築

資本主義経済の最も単純化された基本モデルを考えてみます。単純化のため、貨幣は存在せず、この経済で生産される生産物の種類は一種類のみとします。生産要素は、一種類の生産手段(生産設備)と、均質な労働力のみです。生産関数が異なる複数の企業が、生産要素との所有者との間で生産要素の賃貸料(生産物)について生産要素市場の競争をおこなうモデルを考えてみます。

企業家は何のために利潤を追求するのか──「見えざる手」と総生産量の最大化、資本主義経済モデルにおける「ミクロ-マクロ双対性」

完全競争下で、生産要素(生産設備と労働力)の社会全体での総和が一定量の条件で、複数の企業がそれぞれ利潤を最大化した場合に、すべての企業の生産量の総和が最大化された状態になります。

すなわち一つの国の閉じた経済で考えた場合、各企業の利潤が最大化される条件は、その国の国内総生産(GDP)が最大化する条件と、同値です。 この関係により、企業の経済的利潤というミクロ経済学で扱う量と、GDPというマクロ経済学で扱う量との関係が明らかになります。 この関係は、経済モデルにおける「ミクロ-マクロ双対性」とみなすことができます。 経済学における「ミクロ-マクロ双対性」は、現代経済学の最も基本的な定理といえるでしょう。

生産要素の企業間の移動と、社会全体での生産量最大化

資本主義経済の最も単純化された基本モデルでは、貨幣は本質的には必要ではありません。 生産物の市場取引も、本質的には必要ではありません。 生産要素の最適化を求めての自由な移動、すなわち、生産要素市場の存在が、資本主義経済の本質であると筆者は考えています。

効用とは

社会的効用関数の最大化と功利論的平等主義

能力と嗜好が同じ人間の集団では、分配の格差のない状態が社会全体で最も幸福な状態です。 ベンサムの功利主義を、能力と嗜好が同じ人間の集団に適用すると、平等な分配が社会全体で最も幸福な状態であるという結論に行きつくわけです。 ただし、たとえば病気や障害のある人がいて、その人にとっては他の人と同じ分配を受けても、他の人と同じ水準の幸福な状態に達しない場合は、平等な分配が社会にとって最適だとはいえません。

静学モデルと動学モデル

経済学の静学モデルは、非線形計画問題のモデルに、経済学の動学モデルは最適制御問題のモデルに対応します。最適制御問題は、現代制御工学で扱われる主要な問題です。ニュートンの古典力学は、最適制御問題として定式化できます。さらに、量子力学の問題を、最適制御問題として定式化した新しい理論があります( [1] )。従来の多体系の量子論の問題の解法を最適制御問題の解法として定式化し直すことにより、最適制御問題として定式化されている経済学の問題を、物理学の手法を応用して解くことができる可能性があります。

Reference

[1]保江 邦夫(著)『量子力学と最適制御理論―確率量子化と確率変分学への誘い』(海鳴社,2007). http://www.kaimeisha.com/index.php?%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6%E3%81%A8%E6%9C%80%E9%81%A9%E5%88%B6%E5%BE%A1%E7%90%86%E8%AB%96

金利とは何か

生活のイノベーションと生産のイノベーション

資本主義社会の成長の原動力は「イノベーション」にあると考えられます。 新共産主義理論では、イノベーションを、生活のイノベーションと生産のイノベーションとに大別します。 生活のイノベーションは、従来になかった財やサービスの提供により消費者の生活を豊かにするような技術革新のことです。 生産のイノベーションは、従来からある財やサービスの提供であるものの、生産の技術革新により、少ない労働量で大量に生産や提供できるようになることです。 生活のイノベーションが停滞したまま、生産のイノベーションだけが進んだ場合、「生産要素集約選好法則」により、たとえ労働者の能力が均質であったとしても、失業が発生します。

生活のイノベーションの枯渇と資本主義経済の終焉

資本主義社会の成長の原動力は「イノベーション」にありますが、「イノベーション」は天然資源のような限りある資源の一つであり、枯渇のする可能性があるものと考えられます。 もともと、一つの種類の財やサービスの産業だけに注目した場合、産業の初期には正の企業利潤が発生していたとしても、その後、多くの企業の市場参入により、企業の経済的利潤(企業利潤。資本利子とは別)と考えられます。 産業全体で、イノベーションが停滞した場合、新たな投資は抑制され、その状態が長く続けば不況に到ります。 これまで資本主義社会は、数多くの不況を経験してきましたが、やがてイノベーションにより新たな産業が、景気を牽引してきました。 しかし、「イノベーション」は天然資源のような限りある資源の一つと考えると、「イノベーション」は間欠的にしか起こらない性質のものであることが顕在化し、不況の間の好況は、稀にしかみられない状態に至ると予想されます。 この状態が、資本主義経済の終焉状態とみなせます。 新共産主義理論における資本主義経済の終焉状態とは、必ずしも「イノベーション」が全く消滅した状態とは限らず、「イノベーション」が稀にしか起きずに「イノベーション」の停滞が多くの分野の産業において長期間継続し、それに伴う経済上の困難が継続している状態ということができます。

需要が飽和した社会における経済縮小過程についての動的な蜘蛛の巣の理論

仮説「生産要素集約選好法則」について

新共産主義理論では、企業家が、同じ種類の生産要素であれば、なるべく同一素性の生産要素を集約して使用したいという傾向を、「生産要素集約選好法則」と呼びます。 これは現時点では仮説にすぎませんが、豊穣さの中での失業の発生をうまく説明できると考えています。

「生産要素集約選好法則」は、企業の生産関数として表すことができます。

たとえば、ある企業 i の生産関数 Yi が、企業 i が、労働者 j から労働力を借りて使用した労働量 Lij と、資本 Ki の関数として、下記のように表わされるとします。

    Yi = Ci {
N
j=1
( LijL0 Heaviside ( Lij ) ) }αi Ki1 − αi          (1)

ただし、Heaviside ( x ) は、ヘヴィサイドの階段関数であり、以下のように定義されています。

    Heaviside ( x ) =


1( x > 0)
0( x ≤ 0)

また、N は労働者の総数、Ci , αi , L0 は定数、∑j=1N ( xij ) は、xij の、j に関する総和を表し、xy は、xy 乗(冪乗)を表します。

もし、L0 Heaviside ( Lij ) の項が無ければ、(1)式は、通常のコブ・ダグラス型の生産関数を表しますが、L0 Heaviside ( Lij ) の項の存在により、∑j=1N ( Lij ) の値が一定でも、できるだけ同じ労働者から労働量を供給してもらう方が、企業にとって生産性が高くなることを表しています。 これが、企業の生産関数として具体的にあらわされた「生産要素集約選好法則」です。 労働量の総和が同じであっても、労働者の数が増えると、教育や業務の打ち合わせのためなどに要するロスが発生し、企業は、多くの労働者から少しずつ労働量を提供してもらうのではなく、できるだけ少人数で同じ労働量の総和を確保しようとす傾向を、「生産要素集約選好法則」は表しています。

新共産主義の公共政策論

従来のケインズ理論では、不況時には、歳入不足による高齢者や病気の人や障害者向けの社会保障費の財源をまかなうため、また景気対策として、失業対策によるGDPギャップの穴埋め分の財政出動のために、政府は赤字国債を発行し、好況時に赤字国債を返済することを想定しています。

しかし、前の章で見たように、生活のイノベーションが枯渇して、需要が飽和した社会では、失業者が恒常的に発生し、「労働力の自発的対称性の破れ」が生じます。

資本主義社会の終焉機には恒常的に赤字国債の発行を必要とします。一方、赤字国債は金融市場で取引される金融商品であるため、増大する一方の赤字国債はデフォルト危機に危険に常にさらされます。

新共産主義の公共政策論では、高齢者や病気の人や障害者向けの社会保障費の財源を、赤字国債で一時的に賄い、最終的には税金で回収するという今までの財政学は、基本的に間違っていると考え、その代わりとして、シニョリッジ・アンド・スターリライゼーションという制度を提唱しています。

新共産主義理論でのシニョリッジとは、簡単に言えば、返済期間が無期限の無利子の政府証券であり、これを発行することで、経済対策や社会保障対策の費用に充てます。 スターリライゼーションとは、インフレやバブルの発生の抑制を目的として、企業が実物投資に使うのか、それとも単に他の金融資産に移しかえるのか、使途別に(正負の)利子率の異なる、企業向けの流動性調整のための積立預金制度のことです。

シニョリッジ(通貨発行益)とは

シニョリッジ(通貨発行益)とは、通貨の発行価値と通貨の発行費用の差から生じる利益のことをいいます。 中央銀行と政府は通常独立しているため、ふつうは政府のシニョリッジ(通貨発行益)とは、鋳造硬貨の発行か、政府紙幣の発行を指します。 政府紙幣の発行の目的は、政府の財源確保ですが、インフレを誘導してデフレ脱却を図ったりインフレ税として財政再建を目的とする場合もあります。 また政府紙幣の発行を提唱する人たちには、景気対策として赤字国債の代わりに一時的に政府紙幣を発行し、景気回復後は政府紙幣を回収することを前提としている場合があります。

新共産主義理論では、資本主義社会の終焉期における政府の財源不足は、景気循環が原因ではなく、恒常的に発生するものであると考えます。 そのための恒常的な財源としてシニョリッジ(通貨発行益)を利用します。

新共産主義の公共政策においては、政府の権限で返済期間が無期限の無利子の政府証券を、通常の紙幣である中央銀行の銀行券と交換して、政府の財源にすることを提唱しています。 銀行券の発行による財源調達の目的は、医療や福祉や景気対策のための財源を、税に頼らずに確保するためであり、インフレの誘導は直接の目的ではありません。 インフレ抑制は、法人税の代わりに、スターリライゼーションと呼ぶ方法でおこないます。 これは企業の利潤を、いったん現金よりも流動性の低い預金口座に強制的に預金させるものです。

スターリライゼーションとは

シニョリッジ(通貨発行益)によって、医療や福祉や景気対策のための財源を賄おうとした場合に、これを恒常的におこなうと、慢性的なインフレが発生するかもしれません。 日用品の物価が上昇しなくとも、供給された貨幣を市中で手にした人々が、土地や株の購入に集中すると、これらの価格が上昇していき、バブルが発生する可能性が高いでしょう。土地の価格が上昇すれば、住宅の価格が上昇したり、家賃が値上がりしたり、公共事業や民間の新事業のための土地取得が困難になり、一般の人の生活にも影響が出ます。株式の値上がりが激しく、ある産業の既存企業の株価が、企業の持つ実体の資産価値を大きく上回り、その産業への新規参入する企業が必要とする資産の価格を大きく上回れば、やがて株価のバブルが崩壊し、一般の人の生活にも大きな影響が出るでしょう。

インフレやバブルの発生をできるだけ抑制する立場から、新共産主義の公共政策においては、スターリライゼーションとよぶ、企業向け使途別流動性調整積立て預金制度を提唱します。 これは、企業の利潤を、いったん現金よりも流動性の低い預金口座に強制的に預金させるものです。 この預金口座は、使途により、預金の引き下ろしに付加される利子が異なります。 企業が、その企業の事業のための実物投資に使う場合には、事業に対する一種の補助金とみなせるような、大きな正の利子が付きます。 その反対に、他の金融資産に移し替えるために預金が引き下ろされた場合には、大きな負の利子が付きます。

新共産主義の公共政策論では、企業利潤や資本利子を敵視するのではなく、これらが貨幣退蔵の状態の置かれることを敵視して、企業利潤や資本利子が、企業の雇用や設備投資、企業内での消費、個人消費に振り向けられるように促す施策を重視します。

税のない社会へ

”企業家は何のために利潤を追求するのか──「見えざる手」と総生産量の最大化、資本主義経済モデルにおける「ミクロ-マクロ双対性」”の章で説明したように、完全競争下での企業利潤の最大化は、財やサービスの生産や提供の最大化を意味しています。労働分配率が適正で、労働者への格差対策に配慮をするなど一定の条件を満たせば、財やサービスの生産や提供の最大化は、一般に好ましいと考えられます。

そう考えると、企業が適正に経済学上の利潤(企業)を得るのは、その企業が供給している財やサービスに消費者側のニーズがあることを意味していて、企業が得た利潤を、その財やサービスを提供する能力をさらに高めるために使われることは、社会的に好ましいといえます。

そうすると、企業に一律に高い法人税を課して何らかの政府の財源として用いることは必ずしも好ましくなく、利潤の最終的な使われ方によって法人税率を変えることが望ましいと考えられます。企業が数年の範囲で利潤を預金し、最適な投資のタイミングを見つけて、実際に実物投資がおこなわれれば良いと考えられます。

それを実現する一つの方法が、先に説明した、スターリライゼーションとよぶ、企業向け使途別流動性調整積立て預金制度です。

新共産主義の公共政策論では、財源としての所得税や法人税は原則として廃止し、財源としては、シニョリッジ(通貨発行益)を充てることを提案しています。

一方で、格差是正策としては、労働分配率が適正でない企業や、賃金格差の大きい企業に対しては、高額の法人税を課すことを提案しています。

所得格差の是正には、所得税増税よりも、格差是正のための法人税として徴収する方が、社会的抵抗が少なく政策的に実現しやすい格差是正策として有効だと考えています。